反貧困フェスタ 2009 「労働×貧困」
お礼のことば 反貧困ネットワーク代表 宇都宮健児
米国発に金融危機に端を発する百年に一度といわれる経済不況下で、派遣切り・雇い止めの嵐が吹き荒れ、職と住まいを失う人が大量に生み出されています。
このような情勢下で、今年の「反貧困フェスタ2009」は、「労働×貧困」をメインテーマとして開催されました。
体育館で開かれたメインシンポジウムも、「いま“はたらく”が危ない」というテーマで開かれ、正規、非正規、障がい者、女性労働者が労働現場の実態を告発するとともに、労働団体(連合、全労連、全労協)と市民団体(女性、障がい者、野宿者支援)の代表によるパネルディスカッションが行われました。シンポジウムを通じて、労働運動と市民運動の連携・連帯の重要性が改めて確認されたと思います。
この他、屋内会場では4つの分科会と書籍販売などが行われ、校庭では相談会(労働、生活、多重債務、医療)、炊き出し、ライブ、展示、貧困ジャーナリズム大賞の発表などが行われました。
今年のフェスタの賛同団体は98団体、参加者は約1700人に上り、賛同団体、参加者とも昨年を大きく上回りました。この1年間の貧困問題に対する関心の広がりと反貧困運動の広がりを実感できたフェスタであったと思います。
最後になりましたが、昨年に引き続き会場を貸していただいた千代田区立神田一橋中学校に感謝致しますとともに、フェスタに協力していただいた大勢のボランティアの皆さんにも感謝したいと思います。どうも有難うございました。
反貧困フェスタに参加して 反貧困ネットワーク副代表 雨宮処凛
今の日本では、雇用形態や世代、職種や性別などにかかわらず、どんな働き方をしようともまったくもって一時も「安心」などできないのだ。シンポジウムを終えてまず胸をよぎったのは、そんな言葉だった。
年末に自殺を考え、樹海に向かう途中のテレビで派遣村のことを知り、気がつけば日比谷公園にいたという元正社員。全国の飯場を渡り歩いてきたものの、給料からは仕事のない日も宿泊費や食費などが毎日3000円ずつ引かれ、月に2、3万円しか残らなかったという男性。大企業の正社員にも吹き荒れるリストラの嵐。そして派遣や嘱託で低賃金を強いられる女性たち。聞けば聞くほど、暗澹たる気持ちになった。
しかし、「働く人すべてがしんどい」状態は、逆にチャンスでもある。正社員と非正社員がいがみ合うことによってなされるガス抜きももう限界だ。なんだ、みんな大変なんじゃん、と気付く時、自分たちは実は多数派だということにも気付くのだ。この日の校庭のブースには、農民連のこんなプラカードがあった。「米づくりの時給はたった179円」。雇われている人だけでなく、農業・漁業や自営業者も厳しいという現実を打開するためには、やはりプレカリアートが繋がるしかないのだ。
貧困ジャーナリズム大賞
私たち「反貧困ネットワーク」はさまざまな形で広がる「貧困」を最大の社会問題として位置づけ、それを解消していくために活動する人間のネットワークです。残念ながら貧困に関するジャーナリズムの関心はこれまで決して高いものとはいえず、十分に報道されてきたとは言い難い面があります。量のみならず質においても、ともすれば一面的な報道、あるいは感情的な報道、官庁発表垂れ流しの官製報道となってきた傾向もあります。そうした報道が国民の貧困問題に関する無関心や無理解、誤解等を招く、という悪循環につながってきた側面は否定できません。イギリスをはじめとする欧州の国々では、貧困に関する報道はごく日常的にかつ頻繁に行われています。他方、日本ではそうした報道がまだ限定的で、専門のジャーナリストも育っていない現状に、私たちは強い危機感を覚えています。
そこで私たちは貧困問題について理解と問題意識を持ち、正確に、かつ、継続的に報道する数少ないジャーナリストの皆さんに敬意を表すると同時に、その報道活動を励まし、称え、社会にアピールするために、フリーの方でも組織に属している方でも、実際に取材をしている「個々のジャーナリスト」の皆さんを対象として、ささやかな賞で功績を顕彰することにしました。同時に報道の成果である「記事」や「映像作品」などに一般の人たちが触れ、貧困報道への関心を高める機会になってもらえれば、とも願っています。
「反貧困フェスタ2009」にて「貧困ジャーナリズム大賞」が発表されました。 受賞者はこちら
分科会報告
女性のハケンを考える―女性はハケンを望んでいるのか?現状は?
企画:女性と貧困ネットワーク
パネリスト:ハケンで働く女性たち、小谷野毅(全日本建設運輸連帯労組書記長)、藤井豊味(女性ユニオン東京)、伊藤みどり(働く女性の全国センター)
「女性のハケンを考える」分科会では、働く女性の全国センターの伊藤みどりさん、全日建書記長の小谷野毅さんらをパネリストに、事務派遣で働く女性たちの話を聞き、派遣という働き方について考えた。
この分科会の背景には、派遣という働き方を労働者自身が望んでいるとする1万人を対象とした人材派遣協会の調査について、「製造業の男性は違う」という1月の小谷野さんの発言があった。司会者が疑問を投げかけると、小谷野さんは、「女性たちが望んでいる」と言ったのではなく、どのような業種であれ労働は直接雇用であるべきで、日雇いや登録型派遣は禁止すべきであると述べた。
事務派遣で働く女性たちの体験は深刻だ。派遣なのに、管理職業務を担わされ会議にも出ている人。独立行政法人の研究所へ派遣されているが、ダンピングが進み1365円から1100円に時給が下がった人。40代で派遣登録してすぐに派遣先が決まったが行ってみたら、パワハラがすさまじくて若い女性では持たないような職場だったなど体験が語られた。
派遣法については、派遣で多く働く女性を抜きには考えられない。「問題だと感じた男性労働組合のリーダーの発言を放置せず共に考えようとしたのはよかった」という声が聞かれた。
また佐藤昌子さんはパナソニックのショウルームで18年間派遣として接客業務に携わってきた。「昼間は接客、夜は事務で夜10時まで働いてきた。獲得客が東北1位で表彰されたこともある。でも昨年10月派遣切りされた」と話す。雇用契約書は「事務用機器操作」。1999年まで接客業務は派遣禁止業務だったためだ。また3年を越える派遣労働者には直接雇用を申し出る義務があるがそれもなかった。
生活保護相談で、夫が派遣切りに遭い、妻に言えずにサラ金で金を借りて給料として渡してパチンコをしていたが、請求書が届いて妻に問い詰められて暴力をふるってしまい、離婚に至ったという女性の相談を受けた、という参加者からの発言があった。男性が大黒柱として働くべきという役割分業意識が悲劇をもたらしている、と考えさせられた。
(赤石千衣子)
住まいのセーフティネットをつくろう―安心して生活できる住まいとは?
企画:住まいの貧困に取り組むネットワーク
住まいの貧困に取り組むネットワークでは、2階の教室2にて「住まいのセーフティネットをつくろう 安心できる住まいとは?」という分科会を行いました。教室内では英国人画家ジェフ・リードさんによる日本とイギリスの野宿者の肖像画と、ジェフさんに影響を受け野宿生活をしながら絵を制作していた坂本久治さん(故人)の絵が展示され、なごやかな雰囲気の中行われました。
まず最初に、2009年2月11日に団体で取り組んだ足立区にある花畑団地への現地ツアーを記録したビデオが上映されました。それに続き、団地居住者の方から「団地を壊さないで修繕し、若い人にも入ってもらって、団地が元気になるようにしてほしい」というアピールをいただきました。さらに、住まい連の坂庭さんから公共住宅の現状について「イタリアやフランスといった諸外国と比較しても公共住宅が圧倒的に少ない。日本は住宅後進国である。」という報告があり、続いて都の都市整備局職員の方は都営住宅の現状と課題について「都営住宅への昨年の応募は平均して30倍以上に上る。増やす余地はあるにも関わらず、石原都政が10年間にわたって都営住宅を新築していないのはおかしい」と都政への疑問を投げかけました。簡単な質疑応答を経て、もやいの稲葉さんからはハウジングプアは今に始まった問題ではなく以前から住まいの貧困に苦しむ人たちはたくさんおり、社会的差別によって可視化されてこなかった。ジェフ・リードさんの絵を見ると一口にホームレスといっても一人一人の人生があるという当たり前のことが分かるという紹介がありました。来日していたジェフさんも発言され、自分は絵を描くことでホームレスのことを知りたいと思った。絵を見た方が絵を通して彼らのことを理解し、差別や偏見を変えていくきっかけになってほしい。坂本さんは来日して初めてモデルになった方で恋しく思っていると坂本さんとの思い出や、イギリスの野宿者の現状について話されました。
校庭に設置される予定だった最低居住水準(国が定めた保障すべき居住の基準)を再現した模型が強風のため、1階の廊下に移動するというハプニングがあったものの、模型を見た参加者からは、ずいぶんと広い、自分の部屋は全然満たしていないという驚きの声が聞かれました。企画の最後には参加者それぞれが「わたしたちが望む住まいとは?」を言葉や絵で色とりどりの紙に描き、模型に貼り付けるというパフォーマンスを行い、「居場所があるから生きられる!みんなに住居を!」「つながりのある住まい」「いつでも帰れていつまでも居られる安らぎの空間」といったくつろぎや安心を求め、人と人とのつながりへの要求が多く見られました。大勢の参加者が来場して下さり、企画を通じて住まいの貧困当事者のつながりが重要だと認識されたイベントでした。(藤本龍介)
日本社会の「壁」を崩す―対談 湯浅誠×中島岳志
企画:『週刊金曜日』
パネリスト:湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長)、中島岳志(『週刊金曜日』編集委員)
司会:北村肇(『週刊金曜日』編集長)
教室4では、湯浅誠さんと中島岳志さんによる対談「日本社会の『壁』を崩す」が行なわれました。タイトルには、「保守リベラル」を自任する中島岳志さんが指摘する左派と右派の「壁」、今回のフェスタのテーマの一つでもある「労労対立」の「壁」、あるいは、「年越し派遣村」村長の湯浅さんが「岩盤」と呼ぶ、生活保護受給者に注がれる偏見・差別の「壁」―こうした日本社会の「壁」を少しでも崩したいとの願いをこめています。
対談では、中島さんが「年越し派遣村」の大きな成果を称える一方、「小泉以降、議論が成り立たない社会状況になっている。世論があまりにも感情で動いている。そんな中で、反貧困が既得権益批判にいくと、『だから構造改革が必要』という新自由主義的な方向にとりこまれて、たとえば連合バッシング、『労労対立』といったものにつながりかねない」と警鐘を鳴らすと、湯浅さんも「社会に“溜め”がなくなっている。自分自身に“溜め”がなく、追い詰められているとき、批判の矛先が、背景の大きな構造ではなく、直接の上司だったり、公務員だったりというように身近な人に向かい、一番簡単な自己責任論に解決を求めがち」として、これを克服する方法は、「個人ではなかなか難しい。労働組合など組織的、運動論的に乗り越えていくしかないのではないか」と語りました。
会場質疑では、子どもたちの中にさえ、日々「岩盤」「壁」が形成されているとの懸念が指摘され、教育であれ、家庭であれ、それぞれの持ち場で少しでも「壁」を崩していく努力をしていくしかないこと、あるいは、貧困問題の解決に向けて、政党にマニフェストを要求していって欲しいといった意見が出されました。
狭い教室に100人近い人が詰めかけ、立ちっぱなしで大勢の人が聴き入るなど、会場は熱気にあふれ、また、ボランティアの方々の協力もあって、円滑にすすめることができました。
(山村清二・『週刊金曜日』)
貧困を生み出す労働とは?!―働くこと《労働》を学ぶ
企画:綿貫公平・中学校教諭/全国進路指導研究会
パネリスト:菅間正道(自由の森学園教諭)、角谷信一(千葉県立高校教諭)、山田真吾(首都圏青年ユニオン書記次長)、後藤眞生(首都圏青年ユニオンを支える会共同代表)
今年のフェスタのテーマが「はたらくが危ない」ということを知り、即座に手を上げました。2年前、それまでの学習経過を中心に『働くことを学ぶ』(明石書店)という書籍を編集発行していたこと。その後も首都圏青年ユニオンや反貧困ネットの方々の力をお借りして、学校《教室》と社会《労働/職場》を結びつけることを、研究活動の柱にしてきた全国進路指導研究会として、フェスタ成功へ!微力ながらも恩返ししたいと考えたからです。
「働くこと《労働》を学ぶ」という看板を掲げた教室は、準備した100部の資料が無くなってしまうほどの参加者で埋まりました。学校の中から、発言した菅間正道氏は、総合学習「生きさせろ」を通して「人間が人間らしく生きていける社会をどうやったらつくれるのか」。教室を飛び出し、当事者やあきらめないで立ち上がっている人との出会いから学び合っていることを報告しました。千葉の角谷信一氏は、高校生のアルバイト実態調査をもとに、労働基準法が守られていない実態を明らかにし、「権利として認識されていないので、要求すらされていない」「知りたい」問題を生徒とともに学習し、具体的に「時給アップ」を勝ち取る事例などから、教室ですすめる労働者の権利学習の重要性を報告しました。
非正規の若者を中心とした首都圏青年ユニオンの山田真吾氏からも、「残業代未払い」「有休認めず」「保険の未加入」加えて「突然の首切り」と、違法がまかり通る現実は「目隠しをされながら生きている」ようなものと知らせ、若者たち自身が立ち上がっている経過と成果を報告しました。最後に、長く都立定時制高校で、働く高校生と関わってきた後藤眞生氏は、学校教育の中で「働くルール」と「労働者の権利」が教えられるべきこと。卒業生の追跡調査の重要性を指摘しました。
学校教育関係者の参加が少なかったことに、また次の機会を設定する必要性と責任を感じています。
(綿貫)
シンポジウム「いま“はたらく”が危ない」
まとめと解説 伊藤圭一(全労連)、須田光照(東部労組)
世界的不況のなかで、雇用・労働の崩壊が、過去に例をみないほどのスピードと規模で広がっています。増大する非正規労働者、横行する「派遣切り」、長時間労働と成果を強いられる正社員。仕事がみつからない失業者。「過労死か貧困か」という惨状の中で、「あいつは楽しんでいる」「あいつは守られすぎている」という“労・労対立”が作られてもいます。深刻な状況をふまえ、今年の「反貧困フェスタ」のメイン・テーマは“労働”にしました。働く者が生き生きと働き、生活できる社会とはどのようなものなのか。私たちが直面している現実と課題はどのようなもので、どうしたら、それを乗り越えることができるのか。さまざまな働き方をしている(してきた)方々と、一緒に考えてみたいという企画でした。
第1部 いま“はたらく”はどうなっている? 「年越し派遣村」ビデオ上映
シンポの第1部は、年末・年始に日比谷公園で取り組まれた「年越し派遣村」のビデオ上映で幕を開けました。ビデオは、レーバー・ネットの松原氏の編集によるもので、テント村での炊き出しや、生活・労働・医療相談の光景、村民集会の様子などを紹介した後、派遣村に身を寄せてくれた村民達のインタビューを映し出しました。着の身、着のまま、駆け込むようにして派遣村にやってきた、彼(女)らのそれぞれの事情、ともかく迎え入れられてホっとしたという心境、受けとめてくれた多くのボランティアへの謝意、とはいえ、まだ窮状を抜け出せる確証がないことへの不安感などが映像をとおして、伝えられました。
湯浅村長、年越し派遣村を語る
ビデオ上映終了後、雨宮処凛副代表の紹介で、湯浅誠事務局長が登場。派遣村村長としての立場から、「村長、年越し派遣村を語る……派遣村からみえてきたもの」と題し、10分ほど講演を行いました。
年末年始、大量の派遣切り・期間工切りが行われる中、12月31日より『年越し派遣村』を開設した。目指したのは、解雇・雇い止めされた人々の命を支える救済活動。寝場所の提供と炊出し。それと同時に、被害実態の“可視化”を通じた政治・社会への問題提起だった。派遣村には、500名もの人たちが、寝場所と食事、そして、おまえが悪いとは言わずに支えてくれる人々のぬくもりを求めてやってきた。多くのボランティア・寄付者が派遣村の運営を支えてくれた。『まだ、この社会も捨てたもんじゃない』。私たち主催者側やボランティアのみなさんも、さらにそれを報道でみていた 多くの人たちも、率直にそう感じた。私たちの“社会の底力”の一端が示された。
所持金もなく就職活動やアパート探しもままならなかった村民の状態は改善され、各自の生活再建が、それぞれの歩みのもとで進められている。今は、実行委員会と、法的支援チーム、心のケア・チームがそれぞれの専門性をいかしつつ、個々のサポートを行っている。
この間、派遣村では、年末・年始の教訓をいかし、人々が貧困におちこむことのないよう、政府に対応を迫ってきた。全国に一時避難所(シェルター)開設と総合相談窓口の設置をすること、緊急小口貸付資金の要件緩和をすること、生活保護適用を迅速にすること、最低生活の実現に向けて切れ目ないセーフティネットを構築すること。年度末の大量の解雇・雇い止めが予想される中、なすべきことを提示してきた。ところが、結局、今の段階になっても、なんら事態は好転していない。政府の対応は具体化せず、大量解雇は続き、この時期を迎えている。
低賃金で働き、貯蓄もない人たちが失業したとしたら、雇用保険給付がセーフティ・ネットとして機能し、次の仕事探しまでの日々を支えるべき。必要な職業訓練を受けてスキルアップを図れるようにすべき。そうして、生活保護受給に至る前に、再就職を果たすことが望ましい。しかし現実には、特に非正規労働者には、雇用保険は機能しない。つなぎ融資も受けられず、職業訓練も受講期間を支える生活費なしだ。こういう中で簡単に貧困化し、生活保護を利用する以外には再就職による生活再建のしようがないのが、今の社会の実態だ。
派遣村を、今の日本の雇用の危うさを考えるひとつの機会にしたいと思った。日本の社会は『滑り台社会』だと言って来た。一度つまずくと下まで行ってしまう。本来止めてくれるはずのセーフティーネットが弱まっている。そして貧困状態まで落ちると、あんたの責任だ、頑張ればできるはずだといわれる。じゃあ何ができるのかというと、NOといえない労働者になるしかない。
派遣村はいろいろ批判もあった。『なんで彼らはお金を貯めてなかったのか』とか、『村は政府の仕掛けた陰謀だ』とか。しかし派遣村には、貧困化のスパイラルをどうにかして止めようとの意図があった。
派遣労働が急速に増えていくなかで、初めての大不況を迎えている。昨年秋からの『派遣切り』によって、それがいかに危うく綱渡り的な働き方かがはっきりした。派遣村は、今までずっと、『仕方がない』でやり過ごされてきた、深刻な雇用と生活の不安定さ、安全ネットのなさを検証した。今日の集まりはそんな社会を、生活を見直していくきっかけにしたい。
労働×貧困の実相―当事者に訊け
ここからは、雨宮さんと湯浅さんが司会役となり、当事者の発言をつないでいきました。派遣村に身を寄せることになった村民の話を皮切りに、様々な雇用形態で働いてきた人たちから実態を報告してもらいました。
1.派遣村・村民Sさん
かつては正社員として建設会社に勤務し、収入もかなりあった。貧困など、自分にはまったく無縁だと思っていた。ところが、社内の派閥争いに破れて仕事を失い、人生は急転。ついには死を決意し、富士の樹海を目指すところまで落ち込んだ。電車を乗り継いだところで、駅のテレビをみると、派遣村に人々が集まっていると報道していた。それを聞いて、ハッと我に返り、日比谷公園をめざした。かつては派遣労働者の窮状について、「自分のせいだろう」と見下していた。でも派遣村で生活し、みんなと話しているうちに、どう頑張っても派遣でしか働けない現実があることを知った。私は、派遣村に命を救われた。支えてくれたボランティアのみなさん、そして、派遣村を報道することで、国を動かす力を与えてくれたマスコミのみなさんにも、心から感謝する。
2.派遣村・村民Wさん
田舎から出て、建設業の飯場を点々として10年。去年の春から建設の仕事がなくなってきて、1月働いて2~3万円にしかならない状態だった。12月には仕事がないから出て行ってくれといわれ出ざるを得なかった。飯場は仕事があるときはいいが、なくなると追い出される。賃金は1日6000円から7000円。そこから食事代と住居費が3000円~3500円引かれる。だから、仕事があっても1日2000円くらいしか残らない。仕事がなくて休みでも、食事代と住居費は引かれるので、仕事がないと全く金は残らない。飯場をでたあと、漫画喫茶やネットカフェで2週間ほどやり過ごしたが、1月2日の朝、ついに金が底をついた。テレビなどで報道されていた派遣村に行ってみようとなった。派遣じゃないので断られるかと思ったが、受け入れてくれた。今は生活保護を申請して、就職活動をしている。同じような境遇の人が出てこない世の中になってほしい。
■生活基盤を失い、日比谷公園にやってきた村民を代表し、発言してくれた2人。ひとりは正社員として経営者に近い立場で働き、もう一人は、建設現場で働いてきた。立場は違いますが、最近まで、ごく普通に働いてきた人たちです。そういう人が、解雇や失職を契機に、立ち直りの機会をつかめないまま、住居も所持金もない状態にまで落ち込んでしまう。今、普通に就労している人にとっても、他人ごとではない。自分は大丈夫などとはいえない。少しのつまずきで容易に路上生活へと転落するような社会に生きているのだということを、二人は伝えてくれました。
続いて、派遣労働者からの現場告発です。
3.製造業務・派遣労働者 佐藤良則さん
かつては北海道で飲食店で働いていたが、家族を残して、やってきた。6年前からいすゞ自動車に勤務。派遣労働期間の上限(3年)に抵触した際、派遣会社の指示で、いったん期間従業員に。しかし、3ヶ月たつと、また派遣にもどらないかと薦められ、従った。職場の人間関係はよかったし、いい関係を築こうと努力もしてきた。いつか正社員になれる、そうしたら家族をこちらに呼び寄せて一緒に暮らそうと思い、懸命に働いてきた。ところが、会社は昨年の12月末に3月末まであった雇用契約を中途解除し、解雇を通告。年末までの退寮も迫られた。解雇理由が納得できず、駅頭でビラまきをしていた労働組合の呼びかけにこたえて、労組に加入。団体交渉をしながら、労働局に対し派遣先の直接雇用を求めて申告している。私は今年で50歳になる。次の世代が同じ思いをしないようにしてほしい」
4.事務系業務・派遣労働者 佐藤昌子さん
社員採用のはずだった。ところが、なんの説明も無く2ヵ月後には派遣労働契約に変更させられていた。それから17年半も同じ仕事をしてきた。仕事はパナソニック電工のショウルームアドバイザー。接客なのに、契約書には「事務用機器操作」と記載されていた。これは、期間の定めのない派遣が認められていた26業務。当時接客業の派遣は禁止されていたので、会社は私の業務を偽装した。ショウルームの仕事は、休憩もまともに取れず、夜10時まで職場にいるようなハードな仕事だった。弁当を食べる時間もなく持ち帰る日も。社員と派遣は仕事上なんの区別もない。だが、派遣にはボーナスも退職金もなかった。08年にはグループ内企業へ転籍を求められた。それは4割の賃下げと半年単位の労働契約に切り替えるというもの。労働組合に相談し、交渉をしていたら、そのさ中に不当解雇をされ、今、たたかっている。生活の糧もなく住宅ローンも2ヶ月払っていない。銀行にほかのローンも含め返済計画を出せといわれているが夫も失業中。国保も払えず、4人家族の1ヶ月の食費が2万円を切っている中でどんな返済計画が立てられるというのか。現在パナソニックを相手に地位確認の訴訟を起こしている。
■昨年秋からの大手製造業の大量“派遣切り”は春も続いています。正社員と同等もしくはそれ以上に働き、ここ数年の大企業の莫大な利益計上に貢献してきた派遣労働者が、その頑張りへの報いもなく、労働契約を途中で一方的に打ち切られて失業し、寮を追い出される違法が横行しています。そもそも製造業務への派遣導入が禁止されていた頃から違法派遣(偽装請負)が行なわれていたということや、製造業派遣の解禁後は、派遣期間の上限規制をごまかすため、3ヶ月の直接雇用(期間工)をかませ、再び派遣に戻すという脱法行為が行なわれていたことも留意点。名だたる大企業の職場で、違法・脱法が横行していたことを暴露してもらいました。
見落としてはならないのは、こうした違法・脱法行為は、製造業だけではない、ということです。派遣の先駆的職種であるホワイトカラー職場、事務系派遣でも、違法行為はずっと行われてきました。派遣法導入当初は、ホワイトカラー女性の華やかな就業形態であるかにみられてきましたが、正社員と同じ仕事をしながら、差別的に低い労働条件を押し付けられています。違法や不当に対して声をあげると、契約解除という事実上の解雇をしかけ、それに対するたたかいは、雇用責任をとるべき派遣先会社が、雇用関係にないからといって応じようとしないという、派遣労働固有の難問があることなどを語ってもらいました。
5.一般嘱託労働者 加賀沢志のぶさん
一般嘱託という名称の1年有期雇用契約で働いて、すでに勤続18年になる。17回の契約更新をしてきた。そのうち、少なくとも12年間は正社員と同じ業務につき、正社員と互角以上の仕事をしてきた。仕事を教えもした。しかし障害者雇用枠での採用であることを理由に、ずっと低賃金を押しつけられている。この不条理に対し、労働組合でたたかっている。
■派遣・請負などの間接雇用に比べて、直接雇用は使用者責任を問いやすく、労働組合としての交渉もしやすいといえます。しかし、直接雇用でも、有期雇用契約の場合は、労働者の交渉力は大きくそがれ、その分、違法や差別が横行しやすいといえます。労働者は毎年契約が更新されるかどうか、不安を抱き、不当にも声をあげにくい。一方、使用者側は、いつでも契約更新拒絶をして事実上の解雇ができるという脅しをかけつつ、熟練労働者をずっと低賃金で働かせることができるというわけです。
労働契約法第17条第2項では、「労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、その労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない」としています。1年有期17回更新は、明らかに労働契約法違反といえます。
6.公務非正規労働者 鈴木洋子さん
自治体の非常勤職員をしている。図書館司書として9年間働いている。図書館に非常勤を導入する最初の年の採用で、就職氷河期だった。大学を出て、資格を生かして働けるだけでうれしかった。しかし、この間、処遇はずっと同じ。自治体の非正規は、「労働契約」ではないので、パート法の均等・均衡処遇確保も適用されない。私達は、いつ切られるかわからない。正規職員よりも一生懸命に働いている。常勤職員は、昇給も雇用も保証されているせいか熱意が感じられず、作業も緩慢と感じる。しかし私たちは低い処遇のまま。異動してきた新米の常勤職員に指示も与えているのに。これはおかしいと、労働組合も動いた。当局とも交渉し、労働条件の改善を協議してきた。昨年4月、処遇制度の改定があった。私は「主任」となり、職務が変わったことによって、ようやく昇給が実現した。
■民間企業を指導・監督する立場にある国や自治体。ところが、国や自治体の非正規労働者の雇用は、民間以上の酷い条件のもとにおかれています。いわゆる官製ワーキングプアです。国家公務員法や地方公務員法に照らして、どの条項が適用されているかも判然としない働き方も多く、地方自治体では職員の25~30%が非正規です。税金の効率的利用を合言葉に、低賃金が押し付けられ、民間労働者であれば適用されるべきパート法などの適用も除外されるなど、不当な扱いをうけていることを訴えてもらいました。
7.大企業正社員 Yさん
多国籍企業IBMで働く。大企業正社員は「守られている存在」か?そうではない。退職強要、不当な査定、不払いサービス残業合法化のための裁量労働制、会社分割によるリストラ等々。名だたる企業の中で、多様なリストラが行なわれている。私は、上司に繰り返し退職強要されて夜も眠れなくなり、JMIUに加入して退職強要をやめさせた。正社員は指名解雇できないというが、実際にはこういうことが起こっている。正規も非正規も連帯して雇用を守ろう。
■非正規が増える中で、勝ち組とみられがちの正社員。しかし、非正規とは違うのだから、正規ならではの仕事ぶりをみせろと経営者にせまられ、多くのノルマ・成果を課せられ、長時間労働当たり前の世界が蔓延しています。メンタル問題は深刻化し、そこに追い討ちをかけるような退職勧奨、退職強要が行なわれています。
8.福祉的労働 Mさん
作業所に入所して16年になる。工賃は月2万円。1円でも高い工賃になるように頑張っているし、障害を持っている人たちがよりよい暮らしができるように頑張っている。作業所で行われている活動は、サービスでも益でもない。利用者負担を強いる障害者自立支援法に反対している。
■障害者の多くは労働市場から閉め出され、作業所などの福祉的労働に従事しています。ところが、障害者自立支援法が施行され、必要な支援が益だと負担を求められるというひどい制度が設けられました。いま起こっていることは労働環境も低下し、セーフティネットもボロボロになったということです。障害があったり難病があったり、もしくはなくても生活が困難ならだれでも生活保護を使えるようにしなければなりません。
9.失業者 派遣村・村民Oさん
自動車工場の派遣社員として働いていたが、「あなたに任せる仕事はない」ということで切られた。明らかに解雇なのに、「自己都合」という形にされた。少ない給料から雇用保険も引かれていたので、失業手当の申請にハローワークに行ったが、加入期間が「1ヶ月足りない」ということで受給できなかった。今はいろんな人の協力で生活保護を受けて生活している。
■いったん失業すると、そこから脱出するのは容易ではありません。特に路上生活など、“ゼロ”からのスタートとなると、なおさら厳しい。雇用保険ではカバーされない人は多い。生活を支えるなんらかの“溜め”のない人に対し、必要不可欠なセーフティネットがない。生活保護に至るまでに、雇用保険制度をさらに加入要件、受給要件ともに緩和するなどして失業者が使える制度に変えていかなければなりません。
休憩をはさんで続けられた、9人の当事者発言。それを受けて、湯浅さんと雨宮さんが、コメントしました。みんな懸命に働いているが、それが報われないこと。そして、かつかつで働いていても、「板子一枚下は地獄」の世界であり、解雇・雇い止めとなれば、途中で転がり落ちるのを止めてくれるはずの、セーフティネットが無いこと。まさに、「滑り台社会」になってしまっていることをみなで確認しました。
第2部 “はたらく”をどうする? ―パネルディスカッション
後段のパネルディスカッションでは、シンポで明らかにされた事実をもとに課題を整理し、年度末の雇用情勢をふまえつつ、各運動団体の代表が「今、なにをなすべきか」について発言し、討論しました。パネリストは、龍井葉二さん(連合非正規センター)、井筒百子さん(非正規センター・全労連)、遠藤一郎さん(全労協)、伊藤みどりさん(働く女性の全国センター)、赤石千衣子さん(しんぐるまざあず・ふぉーらむ)、山本創さん(DPI日本会議)、中村光男さん(企業組合あうん)。コーディネート役は、毎日新聞記者の東海林智さんです。
初めに、労働3団体の各代表から、発言がありました。
「派遣切り問題はセーフティーネットに穴が開いたまま規制緩和をすすめた結果であり、セーフティーネット再構築や就労支援に取り組んでおり、派遣法改正などに全力をあげたい。メンバーシップ(会員制)の組合がすべての働く人と連帯した社会運動に変わっていかなければならない」(龍井さん)
「非正規労働者自身が語り、たたかい、これを支えることで動かすことができる。派遣切りに対して労組結成が100をこえ、加入は1000人を超えている。全国組織の違いを超えて労働運動全体が取り組むことが重要」(井筒さん)
「安定した仕事と生活できる賃金、セーフティーネットの確立が求められる。安定雇用、直接雇用、均等待遇の原則を貫く運動を広げよう」(遠藤さん)
それに対し、女性、障害者、路上生活者支援の立場からは、辛口の注文とエールが次々とぶつけられ、労働団体がそれにこたえる決意をのべるというかたちのディスカッションとなりました。注文の内容は多岐にわたりました。
「私たちは、人間関係を豊かにして、ゆっくりと生きることをめざしている。働いてきた当事者が前面に出る。垣根を越えてが反貧困ネットワークの合言葉。だが、『違いを超える』のではなく、『違いを受けとめて』団結する。違いを見えるようにする。ナショナルセンターにはそういう運動を期待したい。当事者は自分のことを『話したい』。大きな労働組合の人たちには発言は控えてもらって、ただひたすら『当事者』たちの声を聞いてもらう、そういう集いをしよう」(伊藤みどりさん)
「シングルマザーは、労働のいろんな矛盾を一手に背負いこまされている。非正規の組織化とか、ユニオンに入って立ち上がれとか、労働組合は言っているが、私にはどうしても彼女たちが組合に入って闘うイメージが持てない。労働を考えるとき、『家族的責任』を考えないといけない。女性は行き場がない。一番排除されるシングルマザーの働き方をいかに底支えするかに、関心を持ってほしい」(赤石さん)
「派遣村に来た人は、野宿者と同じ。山谷地区では労務者といわれるが、困窮のもとは同じ失業だ。派遣村が社会的な反響をもったのは、505人の失業者が当事者として、存在したから起きた出来事で、実行委員会の力ではない。労働組合は、彼らの生存を支えることができたのか。できなかった。だから派遣村のような厳しい現実が起きた。労働運動と社会運動が結びつかなければならない。組合員のための労組ではない。働く者の労働運動を作っていかねばならない。『垣根を超える』とはどういうことか。それぞれ固有の問題を抱えている。それを出し合い、その違いを本当に認め合って、どこでつながっていくかをみつけだす。生きるために、働くために。きれいごとではない。具体的な道筋をつけなければならない」(中村さん)
「障害者にとって働く環境は大変厳しい。社会保障費も削られ、最低生活保障といわれる生活保護の基準まで、最低賃金と比較して、切り下げようとする動きなど、より低いほうへ引き下げていく負のスパイラルがとまらない。労働と福祉の間にもぽっかりと穴が開いており、「制度の狭間」が生じている。足を引っ張り合うのではなく、それぞれの立場の当事者が垣根を越えて取り組みを広げ、大きく方向を転換する、全体の生活、社会保障を引き上げていく取り組みが必要。」(山本さん)
労働3団体の代表は、これまでの労働組合が狭い視野での労働問題だけにかかわり、貧困などの社会問題に正面から取り組む姿勢が弱かったことへの反省がそれぞれに語られました。ただし、非正規雇用と貧困課題では、従来よりもかなり踏み込んだ対応ができるようになってきたことを紹介。各地で取り組まれている派遣村の共催・協力や、この間の非正規の組織化など、具体的な成果が示されました。さらに今後については、労働組合間の連帯・連携に加えて、市民団体との連携などを強化し、社会的労働組合運動の方向をめざす旨、発言がありました。
一方、市民団体側からは、厳しい注文が相次ぎました。労働団体ナショナル・センターは、スタンスを切り替えはじめたというが、遅い。まだ、足りない。非正規や女性の差別問題での対応や、家族的責任をもつ労働者への配慮が運動の上でできていない。当事者の声を聞くべし。市民団体との連帯のあり方について、具体的な行動をとるべし、など。
「垣根を越えて、つながること」の意義と切迫感が、参加者一同に共有された集会となりました。
○コーディネータ
・東海林智(毎日新聞社・記者)
1964年山形県生まれ。88年に法政大学法学部卒、毎日新聞入社。社会部、『サンデー毎日』、横浜支局デスクなどを経て、現在社会部で厚生労働省担当。労働行政、労働組合運動などを主に取材。労働の他に野宿問題など貧困問題を幅広く取材する。
○パネリスト
・龍井葉二(連合)
非正規雇用労働センター総合局長。1949年、東京都生まれ。79年から89年にかけ、総評での『総評労働ニュース』『総評新聞』の編集を経て、89年から連合で中小企業労働対策の一環として労働相談に携わる。95年より総合労働対策局で賃金対策を担当。総合労働局長、総合政策局長を経て、現在に至る。
・井筒百子(全労連)
非正規雇用労働者全国センター事務局長。1987年より全労連・全国一般大阪府本部書記長を経たのち、1998年に全労連常任幹事として東京へ単身赴任。2000年にはパート・臨時労組連絡会、2008年の非正規雇用労働者全国センターの立ち上げなど、非正規労働者問題に一貫して取り組む。
・遠藤一郎(全労協)
全労協・全国一般全国協議会書記長。1942年生まれ。総評全国一般宮城合同労働組合で74年から執行委員、78年から専従書記長。91年、全国一般全国協を結成、書記長に就任。仙台と東京を行ったりきたり。全労協の結成に参加、常任幹事を以降20年努める。中小労働運動、労働法制対策担当。
・伊藤みどり(働く女性の全国センター)
1995年に女性ユニオン東京、2006年には働く女性の全国センター設立に参加。この間、普通に働く女性たちと共に歩んできた。2004年から、アメリカや韓国の女性労働者教育を学び、ワークショップを導入して、女性労働者のエンパワーメント教育に取組んでいる。
・赤石千衣子(しんぐるまざあず・ふぉーらむ)
シングルマザーになって二十数年。NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ理事。反貧困ネットワーク副代表。ふぇみん婦人民主新聞編集部。編著書に『シングルマザーに乾杯!』『シングルマザーのあなたに 暮らしを乗り切る53の方法)(いずれも現代書館)などがある。
・山本創(DPI日本会議)
難病をもつ人の地域自立生活を確立する会代表。重症筋無力症と診断されるが、ミオパチー(筋肉の疾患)の疑いも。障害者運動のみならず、反貧困運動、生活保護費切り下げ反対運動においてもきわめてアクティブに活動している。
・中村光男(企業組合あうん)
困窮者支援の炊き出しの食材の寄付を募る「フードバンク」を、さまざまな支援団体の連携でつくろうと提唱、2000年にバンク設立。2002年荒川区でリサイクル店や便利屋を手掛ける企業組合「あうん」を立ち上げる。長年にわたってホームレスの支援にかかわっている。
校庭企画
校庭ではなんでも相談会、炊き出し、ステージライブなどがありました。真ん中に大きなブルーシートを敷いて、のんびりした雰囲気でした。
相談会
最初は炊き出しに並んでいた方たちが、次第に相談ブースに訪れるようになり、計24件の相談がありました。障害相談と雇用相談が少しあった以外は、ほとんど生活相談でした。
生活困窮者が多く、12人はすぐにでも生活保護の適用が必要でした(大半が路上生活の方)。対応として、当座の食費としての貸付を行ったうえで、月曜日に福祉事務所への同行をすることにしました。現在地である千代田区への集団申請を想定していましたが、本人の生活圏もあり、墨田区と新宿区への申請を希望された方もあり、結局3区に同行することになりました。
なお、既に生活保護を利用中の方からも相談があり、保護費を使い切ってしまった、就労支援に対しての対応をどうしたら良いか、自立のために一時扶助可能なものがあるか等々の問い合わせ等がありました。
(田川英信)
炊き出し
夜明けの会では、カレーうどん、焼き鳥食べてもらうため、前日より、みんなで下準備を行いました。つゆにも結構こだわりました。カレーうどん300人分、焼き鳥500本と前回よりも多く準備しました。
当日は、夜明けの会6人、労金2人、被連協、労福協の方々にも手伝っていただき8時30分から準備を始めました。9時ごろからカレーうどんのつゆを温め始めると、9時30分ごろには行列ができ始め、10時の開始には長蛇の列ができ「門の外まで続いているので、列の作り方を考えてください」と実行委員会から言われるほどでした。行列が途切れることはなく、300食のカレーうどん、500本の焼き鳥(プロ顔負けの手際で、塩、たれなど要望も聞きながらの余裕のある手捌き)は、12時過ぎには、終わってしまいました。そこで何かできないかと余分に持ってきた玉ねぎ、ニンジンなどを使い、野菜スープ50人分、シチュウ100人分作りましたが、それも30分もしないうちに終わり。結局2時30分ごろには全ての食材がなくなってしまいました。食べているみなさんの「具がちゃんと入っている、おいしい」と満足した顔に、スタッフ一同もやってよかったと満足しました。
(夜明けの会 吉田)
ステージ
司会:ジュンとハチ
校庭ライブゲスト:「月桃の花」歌舞団のエイサー、
「生きるための歌」を作り続ける五十嵐正史&ソウルブラザーズ、
新宿駅地下BERGの愛染恭介さん、
夢と希望を持ち続ける「マウム」(こころ)を伝える盧佳世(ノカヨ)さん、
ブルース講師・非常勤の叫び佐藤壮広さん、
「ひとりぼっちをなくそう」精神障害当事者運動に取り組む塚本正治さん、
「前を向いて歩こう」の寿[kotobuki]さん、移住女性による寸劇カラカサン
DJ:DJ mix Noise(FZRK)、
たまごa.k.a.DJ妖精、DJ ∞+∞=∞
DJ狂った藁人形as億柳彗子
反貧困フェスタ2009を終えて 反貧困ネットワーク事務局長 湯浅誠
個人的には「派遣村」のばたばたが続く中での2度目のフェスタとなりました。そのため、多くの人たちに去年以上の負担をおかけしてしまったと思います。広報も去年にも増して不十分でしたが、当日は昨年を上回る1700名の方が参加してくれました。深く感謝します。
今、多くの人が「日本社会はこのままではいけない。未来を考えなければいけない」という気持ちになっていると思います。私たちの活動は、「貧困」という問題からそのことに素材を提供すること、一緒に考えるよう呼びかけること、そして考え・行動することがムダではないのだと言い続けることだと思っています。
メインシンポ「いま“はたらく”が危ない」で明らかになったように、課題は多く、気が遠くなるほどです。しかし、だからこそ多くの場面でたくさんの人たちが声をあげていかなければ、「このままではいけない」という気持ちを形にすることができません。今年は選挙の年。しかし、私たち市民が影響力を行使できるのは選挙だけではありません。選挙の前も後も、有権者として、市民として、もっと健全な社会を作っていくために働きかけ続けていきたいと思うし、呼びかけ続けていきたいと思います。
Festa Gallery
左より、大根さん、牛さん、茄子さん
盧佳世さんが春を呼ぶ
元気な寿[kotobuki]さん
わかちあい花畑、みんなの思いを咲かせよう!