反貧困フェスタ2010 「立てなおそう 取り戻そう ひとりじゃない」
初の地方開催
反貧困フェスタ2010 in みやぎ 立てなおそう 取り戻そう ひとりじゃない
2008年、2009年と東京で開催してきた「反貧困フェスタ」が、今年は3月20日に宮城・仙台弁護士会館にて開催されました。全国の反貧困ネットワークが結集し、これまでの反貧困の運動の到達点と現状の問題点を明らかにし、今後の運動の方向性を考える機会となりました。また、貧困問題とそれに取り組むうねりが全国的に広がっていることを再確認しました。午前中は5つの分科会が開かれました。1)女性が働く、生きる、語り合う分科会、2)生活保護・セーフティーネット貸付分科会、3)労働相談経験交流分科会、4)こどもの貧困分科会、5)日本版MDGs分科会(詳細は後掲)。
午後の全体会の開会式では、仙台弁護士会の我妻崇弁護士より、「雇用、社会保険、生活保護の3層のセーフティーネットが機能していない。弁護士会としても貧困問題に本格的に取り組みたいと思います」と決意が語られました。反貧困ネットワーク代表宇都宮健児弁護士は、午前中の分科会に参加して、父親が自殺し借金取りに追われて苦しい思いをしたが、あしなが育英会で同じ仲間に出会い自信を取り戻して進学したという学生の話を紹介し、「日弁連の会長になる4月に、直ちに貧困問題対策本部を日弁連の中で立ち上げたい」と語りました。そして、「政府に全部お任せでは解決できない、私たち市民の運動の発展こそが貧困問題解決の道筋を作る」との発言があり、会場は拍手で包まれました。
13時からは、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏の基調講演「二度の派遣村をへて、いま必要なこと」、劇団仙台とみやぎ青年ユニオンによる模擬団交「仲村納豆工場は、バツ!」と続き、パネルディスカッション「日本の貧困問題の現状と今後について」がありました。最後に貧困ジャーナリズム大賞2010の発表があり、沖縄タイムスの与那嶺一枝記者に大賞が贈られました。閉会式では、反貧困みやぎネットワーク共同代表の伊藤博義氏が、「これは“ネットワーク”の運動だと確認したいと思う。“反貧困”という一点で団体の垣根を越えつながったのは日本の歴史始まって以来であり、だから不可能なことが次々実現できた」とこれまでの反貧困運動を総括し、これからも一緒にがんばろうと呼びかけました。
全体会と並行して、健康相談、労働相談、生活相談が実施され、14人の相談がありました。
貧困ジャーナリズム大賞2010
「反貧困フェスタ2010」にて「貧困ジャーナリズム大賞」が発表されました。受賞者はこちら
基調講演(抄録) 二度の派遣村をへて、いま必要なこと
湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長)

派遣村その後――第2のセーフティーネット
今日の私の話はそれも踏まえ「二度の派遣村をへて」にしました。特に「これからどうしていくか」という話をしたいと思います。まずはいまの状況を押さえることから話します。いわゆるリーマンショック以降、失業が長期化する中で、昨年の後半期からじわじわと生活破たんに追い込まれる人が増えています。各相談窓口では相談に来る人の数の多さや深刻さからわかっています。でも、なかなか社会全体の危機感につながらない、そういう危機感を私はもっていました。去年の10月には完全失業者363万人という状態でしたが、一口に数だけ聞いても、一人ひとりが生活する姿はいま一つ見えてこない。そこで失業調査などをもとにしたデータも加えました。失業者にもいろんな人がいて、たとえば、結婚していて夫に十分な収入のあるパートの方や、親元に住む若い人が失業しても「すぐに生活に困るわけじゃない」と言われたりする。だけど実際データを見てみると、親と同居していない、家族福祉がない、という人は6割近く、56%に上ります。失業者の背後には、その人に扶養されて育っている子どもがいます。子どもをもつ人は4人に1人に上ります。
失業が長期化する中で、精神的に参ってしまう。何度も何度も面接を受けて何度も何度も落とされる。そのたびに世の中から「お前なんていらないんだよ」と繰り返し言われるような気持ちになって、非常に気持ちが沈むわけですね。それでメンタルな面で不調だと訴えている人が36%います。
世帯全体に貯蓄がたくさんあれば、失業してもすぐに生活には困らないだろうと言われますが、世帯全体の貯蓄が100万円未満の人は39%、4割です。家賃を払わなければいけない賃貸アパートに住んでいる人が3人に1人。それにもかかわらず、職業訓練の経験がある人は14、5%しかいない。
こうなるとこの方たちは生活が追いつめられていくわけですね。派遣切りにあった人が寮を追い出されてすぐにホームレス状態にならなくても、じわじわ追い込まれていく中で生活が破たんしていく。これも非常にきつい。そういう人が広がっていったのが去年の後半でした。それがいまでも続いています。その中で雇用保険がカバーしている人が23%しかいません。雇用保険を受けていたけど切れてしまい、しかも就職が決まっていない人を試算してみたところ、雇用保険を受けていなかった人も含めて150万人くらいです。雇用保険の下には第2のセーフティーネットができあがりましたが、まだまだよちよち歩きで、利用者は5万人にも届きません。生活保護についても「相談に行ったが、けんもほろろに追い返された」という話を我々は毎日のように聞いています。
この公的セーフティネットの脆弱性を補っているのが家族で、家族だから、という理由で家族が一生懸命支えている。しかし、企業の傘が小さくなって家族も支えきれなくなりますから、そのしわ寄せで家族関係が悪くなり、トラブルになったり、一家離散したり、家族全体が食えなくなるという現実が生まれ、深刻化しています。
貧困の連鎖
資料に「すべり台社会」という私がふだん言っている言葉を載せました。その手前には子どもの貧困の問題があります。高校卒業、高校中退、中学卒業、大学も学費が納められなくて退学する人が今は7000人という話ですから、早期に教育課程を出されて、低収入の仕事にしか就けないという人たちが増え続けています。2008年の後半期、全国の有効求人倍率は0.8でした。ところが、2009年の後半から0.46になった。一昨年に比べて大幅に減った。雇用保険が切れた失業者の中で、自己都合の退職ではない「特定受給資格者」と呼ばれる人の数は、2008年の後半期16万8000人から、2009年の後半期は38万6000人と2倍以上に増えています。これは全国共通の状態で、宮城県でも2008年の4060人から、2009年は9万8020人になっています。ただ、こうした話がなかなか理解されないのは、「ちゃんと働いてないんだろう」という話が宿命のようについてまわるからです。日本には、働けば生活できるはずだ、探せば仕事があるはずだ、という「2つの神話」があります。有効求人倍率がいくらになろうが、選ばなければ仕事はあるはずだと考える人はいるんですね。求人倍率の変化にかかわらず、いつまでも偏見がなくならない。それが今まで政府が貧困問題に何もしないことの言いわけに使われてきました。
子どものいる世帯で、何とか子どもを育てたいと両親は必死になって働いています。でも貧困から抜けられない。実際の数字がイメージの中では消えてしまいます。レッテルを貼られ、事実を見えなくさせられる。貧困の特徴は、いつもこうして見えなくさせられることです。
私はずっとホームレス支援をしてきましたが、野宿の人たちは駅や公園で寝ているから見えます。だけど、それを世の中が大変になってきた信号として受け止めるかどうかはまた別問題です。むしろ「根性を叩き直さなきゃいけない」という反応です。これではいくら貧困が広がろうが、貧困問題として対処するという形は起こりません。起こらないから今まで広がってきた訳です。健康保険を払えず、医者にかかれず、子どもが病院に行けないときに、「あいつらは払わないんだ」と言ってきた。給食費が払えないときに、「携帯に1万円使っているじゃないか」と言ってきた。それで全部問題を流してきた。そして大企業が成長すればみんなが底上げされるから、それを後押ししよう、と。でもそうはならなかったわけですね。それが幻想だとわかってようやく今があるんです。
この結果、将来自分が未熟練労働につくと思う子どもの数が日本は非常に高い。実際の非正規労働者もとても増えていますが、それ以上に多い。「寂しい」「居場所がない」と感じる子どもの割合も、いわゆる「先進国」中ダントツに高い。そういう状態になってしまっているわけです。これについて私たちは責任を取らなければいけないと思います。
貧困スパイラル
貧困の連鎖を断ち切るのがセーフティーネットですが、日本にはそれがない中で貧困が続いてきた。何とか懸命に生活を立てようとしますが、日々の暮らしもままならないという中で、昔で言う飯場や日雇い労働といった条件の良くない仕事でも飲みこまなければいけない。しかし、とにかく日銭が必要なんだという人が増えていけば、労働市場は壊れていきます。最初のころ、政府は非正規労働問題を主婦パートや学生アルバイトの問題として扱い、「彼らは一家全体分を稼いでいる夫や父親が他にいるからいいんだ」と言っていた。しかし実際には、その不安定な収入で食べているワーキングプアが増えている。そして正社員の労働条件も壊れてきた。こうして社会全体の労働条件が崩壊する。つまり貧困の放置というのは労働市場の劣化に結びつくわけですね。貧困は労働市場が壊れた結果だけでなく、労働市場が壊れた原因でもある。その循環を私は「貧困スパイラル」と言っています。すでに1980年代のアメリカの労働運動が警告を発していました。「レーガノミクスの中で、このまま行ったらきりがない底辺の競争になる」と。でも、日米は社会全体でその警告を真剣に受け止めきれないままここまで来てしまった。それをいま折り返すべきところに来ていると思います。
貧困状態に陥れば陥るほど「溜め」が小さくなります。その人が生活してがんばることを可能にするための人間関係などの条件です。風邪をひいて1週間仕事を休んだとします。正規雇用でお金がいっぱいある人は別に困らない。でも非正規雇用の人は1週間休めば仕事がなくなっているかもしれない。その途端にお金もなくなるから、食事や家賃に困り、具合が悪いのを引きずって無理に仕事に入り、結果的に住むアパートも守れなくなる。そうして借金も背負い、多重債務者になり、生活が成り立たなくなる。同じ風邪になるのでも、溜めのある人とない人とでは全然結果が違うわけですね。本人にはどうしようもないことであって、そこを見ていかないと貧困の問題はわかりません。
しかし一昨年の派遣村でも去年の「公設派遣村」でも、どれだけ言っても「甘えるな」と言う人がいる。私はそういう人にはもう「それによってあんたが損をするんだ」と金の話をするしかないと思っています。たとえば、ネットカフェで寝泊まりしてもちゃんと横になれず、まだ35歳の人が腰を悪くして働けなくなる。本人ががんばろうと思っても働けない。でも、その後も50年は生きていきますから、いま支援することをもったいぶれば、将来に対して高い「人債」を作り続ける。
住宅政策の遅れ
分配の問題もあります。日本は低位20%、中位60%、高位20%というふうに所得の分配で社会のあり方をわけたときに、低位の人の所得は全体の6.7%しかありません。しかし、税や社会保障で見ると、その人たちは7.9%を負担しています。1.2%増えています。そういう国は他にないんですよね。例えばアメリカは非常に格差の激しい国ですが、低位20%の所得のシェアは6.2%で、その人たちの税や社会保険料のシェアは1.8%です。所得の少ない人は税負担も少なくなっているんです。当たり前ですよね。ドイツ、スウェーデン、イギリス、どの国を見ても同じです。日本は特に所得再分配機能が弱いんです。お金のない家庭の人は、所得分配でも生活が楽にならない。そういう中で、今後、必要なことは山のようにあります。私たちの政策要求もあらゆる分野ですごい数になりました。ただすべては話せないので、ごく一部だけご紹介します。年末年始の対応の延長で掲げている問題があります。一つは低所得者向けの住宅政策の確立。日本の住宅は持ち家政策で基本的に中間層に焦点を当てています。その結果、経済力がない若年単身者や低所得者の人たちは住居を確保できない状態に置かれてきた。また住居のある人もそれを守るための固定費がかかるから、食費や医療費を切りつめる中で健康を害し、子どもも育たない。住居があってもなくても非常に深刻な歪みを社会の中に生じさせている。
また、一般的に生活保護は仕事と対立的に捉えられますが、住居を失った人たちが住宅に入るためのほぼ唯一の手段になっています。日本社会では基本的に生活保護を利用して住居に入るしかない。その意味で、生活保護は住居を媒体に仕事につながっているのですが、住居というファクターがあまり頭に上がらないんですね。それはいま言った歴史的な背景があります。住居が社会保障に位置づかない。「居住は権利である」と言われるとキョトンとする。そうした中で第二のセーフティーネットができました。しかし、生活保護に代わりうるものには到底なっていないので、家賃補助制度を作る必要があると思います。
ヨーロッパの国々が大量のお金を使っていても日本がほとんど使ってこなかった分野は大きく分けて3つです。子育て、教育、住宅です。1つ目の子育ては、今回「子ども手当」を創設しました。2つ目の教育は、公立高校授業料無償化を実現しました。不十分ではありますが着手しました。3つ目の住宅は何もなされていない。そのことに具体的な対策を講じる必要があります。
今後の支援のあり方
さらに、寄り添い型とか伴走型と呼ばれる支援のあり方を職業的に確立するということを考えています。セーフティーネットのためのいろんな政策がありますが、私は「島」だと考えています。雇用保険という島、生活保護という島、第二のセーフティーネットという島の間に橋もかかってなければ船も通ってない状態です。自力で泳がなければならず、溺れてしまうと「たどりつく気がなかった」、「自分でがんばろう」と言われてしまう。そこで起こる様々な問題にきめ細かな対応をしなければいけないということで、ハローワークに住居・生活支援アドバイザーが設置されたりしました。でも、それは島に小さな船着き場を埋め立てて造るようなもので、泳いでいく方はあまり変わらない。しかも、島の周りにいっぱいできていくからどこにたどり着けばいいかわからなくなる。せっかくたどり着いたら「あなたが上陸するのはここじゃありませんよ」と別の場所に回される。そこで、島と島の間を結びつけていく人が必要だと思います。貧困状態とは、トラブルを複合的に抱える状態の人です。他方で制度は少しずつ複雑になりますから、人と制度の距離はかつてよりも開いています。そこをつなぐ人たちを職業的に確立する必要がある。私たちがやっているのはそういうことです。相談を聞いて問題点を整理して、一緒に役所や法律家やクリニックへ同行する。それをなぜ社会全体や政府として取り組めないのか。こうした活動に関わりたいという若い人たちがたくさんいますが、「ごめん、それじゃ飯が食えないんだよね」と言うしかないんです。でも、それをちゃんと職業として確立することができるはずだし、やるべきだと思います。私たちは「パーソナルサービス」と呼びますが、人的なワンストップを社会の中に作っていく必要があると思います。
また、この秋から冬にかけてはっきりしましたが、住所不定状態の人がやっかい者扱いされることが根強くあります。どの自治体にも属さない人が住所不定状態になり、生活保護でもワンストップ・サービスでも、全ての自治体からやっかい者扱いされる。そうした構造を変えるために、自治体間を調整する仕組みを作らなければいけない。こうした全体を通じて当事者の声から政策が生まれるようなプロセスが仕組みとして確立していく必要があると思います。
2007、8年から世界的な変動期・流動期に入っていると思います。政権交代もその結果の一つですし、宇都宮さんが日弁連の会長になられたのも社会の変動の結果の一つですし、私が内閣府の参与になったのもその結果の一つで、それが私たちの時代です。方法を切り替えていくことが重要だと思います。我々はお金も権力もありません。ゾウに立ち向かうアリのようなものです。だけどワイワイやっているうちに、ゾウの脚がズドーンと着地する時に1ミリずれたりするわけです。それが1メートル先、100メートル先には大きなずれになるわけですね。そのために活動しています。いきなりやって1メートル、100メートルずらせるわけがない。だけど1ミリずらせば、将来その方向が変わってくるかもしれない。それが流動的な時期の特徴だと思います。もちろん1ミリずらして安心して手放してしまえば、次の一歩は元に戻ってしまうかもしれない。1ミリを勝ち取るためにがんばっていく必要があると思います。中にはマスコミに載らない活動もあるでしょうが、やっても意味がないとやめてしまったら何も生まれない。一つ一つ積み重ねていくことが私たちの責任だと思います。その意味で多くの人たちがこうした活動により一層励んでいかれることを望んで、私もがんばっていきたいと思います。ありがとうございました。
パネルディスカッション
日本の貧困問題の現状と今後について

新里:会場に過去最高の人数が集まり、発言者も第一線の方にお集まりいただきました。ありがとうございます。
関根:まずは昨日閣議決定された労働者派遣法についてです。派遣がワーキングプアの温床となる背景には「派遣は雇用の調整弁」という考え方があります。昔は「労働者は会社の宝だ」と言われていましたが、1986年に労働者派遣法が施行され、簡単に労働者を調達できるようになりました。その最たるものが日雇い派遣です。明日20人集めてくれと言えば集められる、そうして労働者はだんだん大事にされなくなりました。その結果、低賃金でも不安定雇用でも労働者を簡単に集めてくれるので、派遣だけでなく正社員も粗末に扱われるようになったという構図です。派遣で働く人を中心に低賃金・不安定雇用が広がり、貧困と結びついたと思います。私は1991年から「派遣トラブルホットライン」を始めましたが、当時は派遣の問題はほとんど女性の問題でした。まず弱い立場の女性から広がり、2000年代の半ばから日雇い派遣のような形で男性にも広がり、男女ともに貧困の構図になりました。
私は2006年に日雇い派遣の問題に気がついて、グッドウィルやフルキャストに登録して実際に働き、悲惨な実態を知りました。その後、グッドウィルのデータ装備費を取り返すといった日雇い派遣労働者のたたかいが始まりました。そして、こんなひどい働き方を許した派遣法の改正運動が始まりました。2008年の秋には一斉に派遣切りが起こり、派遣法見直しの声が高まり、2009年6月には当時野党だった民主党、社民党、国民新党の3党が共同で改正法案を提出しました。そして2009年夏に政権交代が起き、昨日閣議決定されました。これはひとえに当事者が声を上げたことが力になったと思います。
ただ、その内容を見ると、残念ながら昨年6月に比べ大幅に後退しています。たとえば、労働者の事前面接の解禁ですが、容姿や年齢での差別の温床です。これは閣議決定時には削除になりました。また、例外として「常用型派遣」がまだ認められていますが、これは定義が非常にあやふやで、たとえば2か月契約でも1年以上の雇用が見込まれれば「常用」に含まれてしまいます。これでは何も変わらない。また「常用」の例外として、女性が多く働いている専門26業務は今のまま残されてしまう。その意味で非常に不十分な内容だと思います。
また違法に派遣労働者を使っていた派遣先は、労働者に直接雇用を申し入れたと見なす「見なし雇用制度」も盛り込まれることになりました。ただ、これも不十分で、派遣労働で3か月契約していたら直接雇用後も3か月契約と見なされるんですね。するとこの法律を使って「私は直接雇用されるべきだ」と訴える労働者がいたら、企業はうるさがって解雇できてしまう。その意味で大変不十分な内容が多く含まれています。今後の国会の審議等で、私たち働く者が少しでも安心して働いていくための働きかけを強めなければと思います。
村上:日本は「第2のセーフティーネット」を急ごしらえで作ったと思います。リーマンショック以降、まず最初に就職安定資金融資制度ですね。ただし条件としては「住居を失った失業者」であり、事業主都合の退職か自己都合の退職かなど要件が厳しかった。しかし、その後の「派遣村」を経て10万円を貸し付ける「緊急小口支援貸付制度」が作られました。厚労省としては一回限りの超法規的措置でしたので、別の支援として「離職者支援資金貸付制度」を作りました。生活保護に代わるものとして、良い悪いは別にして、大変よく使われています。毎月約30億円、1年で360億円。もともとは多重債務対策で考えられており、失業者対策と多重債務対策の二つが兼ね合わされています。それから「緊急人材育成支援事業」というのがありますが、職業訓練を受けても簡単に就職できるわけではありません。「第2のセーフティーネット」もいろいろありますが、パッチワークにパッチワークを重ねたもので、制度には限界があります。国も試行錯誤しながら何とかやろうとして、縦割り行政の中で湯浅さんらがワンストップサービスを実現させましたが、政府の方では「生活福祉中央支援協議会」を4月以降全国で作ります。その中で弁護士司法書士会などのその他の団体がオブザーバー参加できるようになったんです。待っていても駄目なので、私たちの方からどんどん入り、政府との橋渡しができるようになればいいと思います。
新沼:仙台の新沼と申します。元ホームレスです。昨年の2月に公的支援を一切使わず、みなさまの善意のおかげで家が見つかりました。私たちのシェルターはカンパや反貧困みやぎの助成金で運営され、いままでの利用者は延べ107人、定員は8名です。最初にシェルターを開設したときは、「とにかく働かなきゃ食べられない」と目の血走った人が集まりました。最近はできれば楽をしたいという人や自分でどう動いたらいいかわからないという人たちです。その人たちと毎日接していると、社会の仕組みから弾かれてしまい、今の社会では助けることができなくなっています。だからといって、「自己責任だ」と放っていいのではなく、その人の命に視点を置いて活動せざるをえない。確かに仕組みは大事ですが、「まず助ける、そのあと仕組みを考える」と自分に言い聞かせています。確かに行政の生活保護はありますが、行政の仕組みは条件付きです。実際は目の前にいる人を無条件に助けなければならない。そこに矛盾を感じながら仕事していました。
宮城県内のシェルター利用者は仙台市が一番多く、45名でした。ほとんどが東京、大阪、名古屋で派遣切りされて、持ち金が残り少なくなり、ふるさとを目指してきた方です。みんな持ち金が1000円以上あるうちは何とかなるのではないかとがんばろうとします。でも現実はそうではない。私は人として当たり前のことをやっているだけです。目の前に困っている人がいるから手を差し伸べている。だけど、いまの社会はそれに「何で?」と理由を要求します。当たり前だろうと逆に問い返したいですね。確かに社会を維持するには仕組みが必要です。でも仕組みとは何のためか? 私は一番底辺を救うことこそ社会を救うことだと思います。これからもその思いで頑張っていきたいと思います。
赤石:私はシングルマザーです。子どもが生まれたときには職がなかったので生活保護を受けました。20年前は数年がんばれば正規の職につけたのですが、いまは何年がんばってもできません。シングルマザーが抱えるようなものすごい困難、女性の貧困は何が原因なんだろうとみなさんと考えたいです。
たとえば、非正規の人の割合。女性はいま50%を超えていますが、男性は20%弱です。年収200万円以下の人が女性は40%を超えていますが、男性は20%以下です。どんなデータを見ても女性の方が貧困です。しかし、それが問題視されなかったのは、「女性は稼ぎのある男と結婚すればよい」、「娘のうちは家でお父さんに扶養されるからよい」と思われてきたからです。しかし、その基盤が崩れている。非正規雇用がすべてに広がった始まりは女性の不安定雇用だということをしっかり認識しないと解決しないと思っています。
もともと日本の社会政策は、「夫が主たる稼ぎ手であり、妻が家事・育児を担う」という家族がモデルです。妻が年収103万円以下で働いている場合には、夫の給料に配偶者控除や特別配偶者控除がつくようになっていました。妻が103万円以上働くと、夫の手取り給料が減るので怒られたりした。だから子どもを産むと一般就職の仕事を辞めざるをえず、子どもが手を離れるとパートで働くというパターンでした。
パート女性はいま全国で800万人います。パート労働は簡単な短時間労働ではなく、非常に過酷になっています。どんどん基幹化してマネジメントもさせられ、パートの店長も出てきました。しかし低賃金です。家でも仕事場でも認められないのに大変な状況を担っていて、不満がたまります。でも、会社にとっては非常に都合がいい。家の近くで働いているので辞めないし、忙しくないときは来なくていいよと言われても文句を言えない存在です。こういう働き方をする主婦の隣でシングルマザーも働くので、当然低賃金になり、年収は170万円にしかならない。この構造の問題を私たちは20年くらい主張してきましたが、そういう働き方が男性にも広がったと見るべきなのではないでしょうか。
確かに「男女共同参画」や「雇用機会均等法」ができて、勝間和代さんのようにバリバリ働く人がごく一部いたとしても、多くの女性は非常に低賃金で働いています。期限の定めのない雇用をしたいに決まっているので、こういうタダ働き世帯をモデルにした社会政策を変えていかなければ貧困問題は解決しません。そのためには性に中立になり、同一価値労働同一賃金を実現することが必要です。これは男性にもメリットがあります。「男は妻子を養う一家の主である」という働き方をしなければという重圧が男性にある限り、それができなくなった男性はプライドやアイデンティティを失い、ホームレスになってしまったり自殺に追い込まれたりする構造があると思うからです。
杉山: 僕たち自立生活センターは、1972年にアメリカのバークレーで障害者自立運動として始まりました。それを80年代に私たちの先輩方が日本へ持ってきて、1986年に八王子で自立生活支援センターができました。それが90年代に全国に広がって、今は約30カ所位あります。私たちCILは1995年にできました。今年で15周年ですが、障害者を一番理解できるのは障害者自身であろうという自立生活支援センターの原点を信じています。運営の主体が障害を持った当事者でなければならないというのが原点で、その条件を満たしているところを集めて全国展開しています。やはり障害者支援問題は、支援者やボランティアもいますが、本当に来てほしいのは当人なんです。当人が来ないと障害者問題はよくならないと思います。
その中で私たちは国に色々要求しますが、財源がないということでなかなか私たちが望むような制度やサービスはできてきません。そこで自分たちで行ってしまおうといろんな事業をやっています。ピアカウンセリングの「ピア」は英語で言えば「仲間」です。カウンセリングといっても専門的なカウンセラーではなく、障害者どうしがカウンセラーになってお互いの悩みを出し合うのです。お互いの共通していることがわかりあえたり、癒されたします。あきらめずに少しでも前向きに克服していこうとするわけです。
「自立生活プログラム」で障害者主体といっても、それまで親元にいて一人暮らしの経験がないのでどうしていいかわからない。金銭管理にしてもどうしていいかわからないし、ホームヘルパーがついても最初はわからない。そこでどういうつきあい方をして生活していけばいいのかをその人なりに学ぶというのがあります。こうして生活していける仲間を増やして、世の中を変えていこうと思っています。
新里:みなさん、ありがとうございました。
分科会
1.女性が働く、生きる、語り合う分科会
女性たちが働くこと、生きることの困難を話し合い、語り合い、女性の貧困をみんなで考えました。●Sさんは夫に収入も全部管理される中で、シェルターに入って心が落ち着いた。現在は生活給付金をもらいながら介護の資格を得られる学校に通っています。
●Cさんは15年暮らした夫からPTA活動すら「遊び歩く」と叱られ、娘の入浴を覗くDVをされていました。経理の仕事も月10万しかもらえず生活保護を受けました。とても苦しい。今の新しいパートナーも不安定雇用です。
●女性の貧困の可視化が課題。母子家庭の未来は今の高齢女性を襲う貧困にもつながっています。被扶養をパート労働として認めてきたこと、労組の中で非正規問題が取り組まれなかったことが問題です。「自分のせい」ではなく勇気をもって発言してほしいです。
2.生活保護・セーフティーネット貸付分科会
分科会には県の社会事業部の方も出席し、福祉生活保護の問題を対立しあうのではなく議論し合いながら一緒に制度全体を良くする運動が大事だと話しました。●第2のセーフティーネットの中身や問題点をあげました。相互支援資金の利用対象は「失業等による」とありますが、厚労省はその解釈を地方に委ねるといっているので、実際に相談にいくと問題が続出しています。改善が必要ですが、また同時に給付型の制度にしていくべきです。
●生活保護申請の意思を示した時の対応は改善されましたが、申請する本人に意思表示がよく理解されないまま窓口にいくと「若いんだからがんばりなさい」と言われてしまいます。
3.労働相談経験交流分科会
労働相談活動が迎えている新しい局面について経験・意見交流を行いました。●第1に「非正規など不安定雇用の人からの相談にどう応じるか」。労働災害が目立ち、相談ホットラインでは相談件数が昨年の160%に増えました。ホットラインの拡大、実際に労働現場に入り声を上げる担い手を増やすこと、労基署など行政の最初の対応でつまずいた後の労働組合の関わり方が不安定雇用の組織化に必要です。
●第2に「生活困窮やうつ、多重債務の相談への対応」。長時間労働にともなううつや退職強要が目立ちます。働き続けたいので労組に来る。家族の保護が機能しなくなり、困窮して相談に来る。もちろん労組が対応する必要がありますが、通年のワンストップ・サービス実施が行政にも求められています。
ナショナルセンターの枠を超えた議論ができてよかったと思います。
4.子どもの貧困分科会
子供が安心して成長できるセーフティーネット構築のために。●授業料を払えない。修学支援資金も自治体格差で活用されず、教育格差が浮き彫りになること、保険証がないため医療を受けられない人が多いことが問題。
●イギリスも貧困率が高かったが、ブレア首相の時代から子どもの貧困に取り込み、18歳まで降ろせない口座を子どもに与えることで解決しようとした。
●子どものセーフティーネットには分かりやすい窓口が必要で、給付制度も充実させる。来場した衆議院議員からは超党派的にこの問題へ取り組む段階であるという報告を受けた。弁護士にとっても子どもの貧困は今年盛岡で開かれる人権擁護大会のメインテーマの一つで、仙台でも行事を開催しようと計画中だ。
5.日本版MDGs分科会
●MDGsとは「国連ミレニアム開発目標」の略で、世界186カ国の指導者が2000年に作った貧困削減目標です。世界の貧困は非常に深刻で、1日1ドル以下で生きる人が10億人以上、深刻な食糧不足や飢餓が10億人いる。それを2015年までになくしていくと合意した。●不足していた社会開発、初等教育、保険サービスに非常に多くの資金が投入され、エイズ治療は2002年の20万人から現在400万人以上がアクセスできた。
●貧困を生む構造は世界も日本も変わらない。国外と国内の貧困の問題に取り組む市民社会は連携して、政府に対し、貧困にまともに取り組むことを求める必要があるとの観点から日本版のMDGsの作成に取り掛かりました。
模擬団体交渉「仲村納豆工場は、バツ!」
